日本国憲法は欠陥の博覧会

大日本帝国憲法と日本国憲法の条文の対比

「日本国憲法」
第一章 天皇
 第一条 「天皇の地位・国民主権」
 天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する国民の総意に基づく。
       (中略)
 第六条 「天皇の任命権」
 1 天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。
 2 天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
 第七条「天皇の国事行為」
 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。
     (以下十項は省略)

「大日本帝国憲法」
第一章 天皇
 第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。
       (中略)
 第三条 天皇は神聖にして侵すべからず。
 第四条 天皇は国の元首にして統治権を総覧し此の憲法の条規に依り之を行う

和訳された草案と英文の草案原稿

和訳された草案と英文の草案原稿

欠陥その一 現行憲法には国家元首が居ない?

日本の国家元首は誰と問われれば、誰しも「天皇陛下」と答え「総理大臣」と答える馬鹿者は居るまい。

現行憲法に於いても第一章第六条任命権や第七条の国事行為の項目を読み人間並の理解力を持っていれば、国家元首が天皇陛下であることは容易に理解できる筈であり、通常の国家であるならば憲法に「国家元首」の規定が記載されている筈である。

然るに現行憲法の第一章天皇の項には、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、主権の存する日本国民の総意に基づく。」と在り、国家元首としての記載は無く、前述した同章の第六条及び第七条にはれっきとした国家元首としての権限が記載されており、象徴としか定めておらず元首として憲法上に定められていない筈の国家元首の権限が後の条文に記載されている極めて不可解極まりない憲法条文である。

現行憲法の第一条の条文は旧帝国憲法第三条と対比できる条文で、欧米の立憲君主制の国家に習い、議会の責任が天皇陛下に波及しない様に、日本人的考え方で「天皇は神聖にして侵すべからず」と言う条文になったもので、立憲君主と言う議会により君主の権限を制限している統治方法での「国王は君臨すれども統治せず」と言う西欧式文言の日本版表現と考えられる。

従って現行憲法第一条の条文は「象徴」即ち「飾り」と言う考え方ではなく、旧帝国憲法第三条の条文と同等と解釈するのが自然な解釈であり国家元首の定めとは別物と解釈すべきである。

旧帝国憲法には第四条に於いて国家元首としての立場が明確に記載されているが、現行憲法に於いては国家元首としての権限の記載が在るにも関わらず、国家元首としての定めが無く、やはり進駐軍の懲罰憲法の色彩は拭いきれず、一週間と言う短時日で欧米憲法を参考に即席で作り上げた「カップラーメン」の様な草案を其のまま押し付けられた不良品憲法と言えよう。

亦、第一条の「主権の存する日本国民の総意に基づく」という条文も又「反天連」等の反皇室を唱える団体に悪用されやすい条文では無かろうか。

進駐軍は元々「皇室」をも解体しようと画策しており、是れに懲罰色が重なった事、外人が草案を起案した事に拠り、日本語として理解しようのない不可解な文言や国家元首不在という世界希に見る欠陥憲法が成立してしまったのでは無かろうか。

欠陥その二 他力本願の憲法前文

まず始めに、現行憲法前文の第二節の一部を掲げるので、其処から考えてゆきたいと思う。

「日本国憲法前文」
 第二節 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
以下省略

「他力本願」とは仏教用語で衆生が阿弥陀仏の本願に頼って「成仏」を願う事から転じて、人頼みに物事を成し遂げようとする事に使われる言葉である。

憲法前文を読み、大東亜戦争後の世界の情勢や我国の周囲を見て何らかの違和感を持たれはしまいか、戦後旧ソ連(ロシア)・南朝鮮に不法に占拠され続けている「北方領土」や「竹島」、そして此等の近海で拿捕・抑留・射殺された日本人犠牲者、昭和四十五年頃から尖閣諸島の地下資源に目を付けて利権の為に領有権を主張し始めた中共、贋金作りと覚せい剤輸出が「国家事業」で核開発を平然と行い周囲を恫喝する北朝鮮が平和を愛する諸国民と言えるか否か、彼らに「公正」と「信義」「平和を望む心」が在るか否かという事は幼児でも容易に理解出来うる筈である。

少なくとも、我国の周囲を取り囲む諸国は「覇権」と「利権」そして「侵略」と言う言葉は理解しても「平和」や「信義則」「公正」と言う言葉は彼らの辞書には無い代物では無かろうか。

論より証拠には「朝鮮動乱」「ベトナム戦争」は皆旧ソ連や中共が火種で、中共に至っては大陸内部でも少数民族の弾圧や侵略を平然と行っているではないか、こんな連中相手に信頼も何も在ったものでは在るまい。

これ皆明らかに、敗戦国日本の警察力である「軍備」を剥ぎ取って無力化させ、再び世界に台頭させない為の連合軍の意向が如実に反映された「懲罰憲法」で在るが故にこの様な現実乖離の「他力本願」的文言が前文に謳われているのでは無いのか。

現行憲法の謳う処の「崇高な理想」は理解できるが、全くの人頼み、其れも我国周辺を取り囲む信義や公正、平和理念の通じない「悪しき隣人」相手に「信義則」を振り回して「崇高な理想」が実現するならば、焼いた魚も泳ぎだすであろう。

欠陥その三 日本語として在り得ない文言

「日本国憲法」
第二章 戦争の放棄
 第九条「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」
 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争解決の手段としては、永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

条文の解釈は「安全保障」の項で述べているので割愛するとして、この条文は「日本語」として何処か違和感を感じはしまいか、第二項を読んで頂くと最後の「国の交戦権はこれを認めない」と在るが、条文の内容から完全に頭を切り離して考えて頂きたい。

「認めない」と言う言葉は日本語に於いて、自分に対して第三者が事を「否定」する意味に使われ、自分が自分に対して「禁止」若しくは自分の行動を「否定」する意味での「認めない」と言う使い方はせず「国の交戦権は放棄する」と言う表現に為らなければ日本語として成立しないと思うが如何なものか。

この条文は明らかに戦勝国が敗戦国に対する懲罰の意味合いと、大東亜戦争以前より「対日戦」を想定していた米国の「日本計画」と言う戦後処理計画で日本を「骨抜き」にする為に、完全に軍備を剥ぎ取ろうと言う魂胆丸見えの文言である。

占領当初は憲法改正迄は視野に入っておらず、マッカーサーの意向により「改憲」を指示され、外国人の手により一週間と言う短時日で即席で作成された為に、日本語として不可解な条文ができあがってしまったものであろう。

「前項の目的を達成するため」と言う一行は、憲法審議の過程で芦田均が強引に挿入させたもので「芦田修正」と呼ばれ、是れに拠り「侵略」を目的とする武力行使や軍備保有・戦争は放棄するが自国を侵略する脅威に対してはこの限りに在らずと言う解釈ができる様になったものである。

何れにせよ、一国の方向性を決定づける「憲法」が占領下に於いて外国人が作成し、日本語として誤った表現を使用した「押付憲法」を推し戴いている国は世界広しと言えども我祖国「日本」を措いて他には在るまいと考える。