国政選挙に低俗なる公約

民主党の公約前回の衆議院選然り、以前の国政選挙に然り、何故に国政選挙に「外交」や「安全保障」を論う候補者が居ないのか、国政選挙であれば先ずは第一義的に「安全保障」と「外交」では無いのか、確固たる安全保障の裏付けにより「毅然たる外交態度」の確立が為され、これに拠り国家の安定が図られる訳では無いのか。

国家の安定が保全され、其処に始めて「景気対策」や「社会保障」と言う第二義的問題を論う事に為るべき筈であるが、昨今の国政選挙は「本末転倒」で第二義的問題を前面に出し、本題は何処かに置き去りにされているのが現状であろう。

確かに現代日本の世相を観れば「高齢化」が進み景気の停滞により「社会保障」や「景気対策」を謳えば「票」が集めやすいと言うのか本音の処であろうが、これでは一体この国の行く末は誰が考えて道筋を立てるのであろうか、此の侭行けば国政の場に誰も国の行く手を考える人間は居なくなるであろう。

複数の地方議員や国会議員に前述の質問を、直球でぶつけて見た処、帰ってきた答えは何れも「貴方の言わんとする事は当に其の通りで正論であるし判っている(?)けれども、それを公約に並べても票が集まらない」と言う極めて判りやすい回答で、回答内容は全員「金太郎飴」の如く同じであった。

「猿は木から落ちても猿だけど、議員は選挙に落ちたら只の人」と言った議員が居たけれど、選挙対策で「本末転倒」の公約を並べている輩は「只の人」では無く「只の馬鹿」では無いのかと考えるのは我々のみであろうか。

この様な状況を醸し出してしまった背景は、やはり周囲の情勢を理解しない或いは理解し様としない、若しくは理解出来ない愚鈍の民、即ち前項の「盲たる民」其のものが自己の利権の為に「本末転倒」の公約を並べて立候補する議員を多く輩出してしまったのであろう。

国政選挙の候補者に必要な事は第一義的な問題に真摯に取り組む姿勢を有権者に見せる事、有権者は国内外の情勢を観察し、田舎の地方選挙で無い事を弁えて国政選挙に相応しい問題を論う候補者に票を投ずる事、これらの国政選挙に対する考えを双方で改めなければ祖国日本の未来に光は無いと考える。