慰安婦は拉致や強制では無かった

慰安婦募集

朝鮮族は「慰安婦」は強制された或いは連行された「性奴隷」と言うが実際には現地募集で採用され、娼館の楼主から給料を貰っていた娼婦であり、全く違う話をしているのである。

左の写真、現地募集の案内で「朝日新聞」が掲載したもので、月収三百円、前借三千円迄可と書かれているのが分かると思うがさて、当時の貨幣価値を現代風に換算すると幾ら位なのか、当時の軍の大将クラスの年間の俸給が六千円、昭和六年当時の百円は四十五万三千五百四十七円、昭和十七年当時では三十四万七千七百五十一円と言うから、昭和十七年当時の計算でも女達の月給は百万円以上となり、支那の漢口の娼館で働いていた朝鮮人娼婦は当時の金額で三万円の貯金をしており、五万円貯めたら商売を辞めてソウルに土地を買い店を持ちたいと語っていたという。

給与明細

当時の戦地での「性政策」には三類型が在り、英・米型は自由恋愛(私娼型)で戦後の日本でも見られた「オンリーさん」と称する進駐軍専門の私娼もこの部類に入り、日・独・仏型は慰安所型と言い、前線に公式の娼館を設けるタイプで在った。

ソ連・朝鮮・支那型は、歴史が証明するように「強姦型」であり彼らの民族性を如実に表している。

この様に、其々の国に拠り政策は異なっても兵士に対する性政策は行われており、慰安婦型の日本は当時としては綺麗な政策であり、募集に際して「誘拐」「拉致」等を禁じ、是等に反した場合は厳罰に処すと言う文言まで記載され、強制的に連行されたものては無い事が理解できよう。

当時は公式に認められた商売であり、高額な報酬が支払われていた事実から勘案すれば朝鮮族の言う「性奴隷」と言う表現は適切とは言えず、賠償金と言う利権目当てとしか考えられない。

しかし「拉致」「誘拐」という話になると、当時の朝鮮や支那では日常的に在った事で、同族である朝鮮人や支那人に拐われて売り飛ばされた女性達も相当数居たと言うし、支那人の女衒に買われた連中は娼館の楼主から目一杯の前借をせしめた上で女性達を売り飛ばしたから当然の結果として、彼女達は前借完済迄は一銭にも為らない筈である。

慰安所設置と慰安婦募集に関する司令部から部隊への通達文書

慰安所設置と慰安婦募集に関する司令部から部隊への通達文書

当時の支那や朝鮮に於いては「養育」という名目での人身売買も日常的に行われており、誘拐された十代の少女が女衒を経由して娼館に売り飛ばされるという事も当然ながら日常の出来事であった筈では無かろうか。

前述の経緯から考えれば、連行されて娼館で無給で働かされていたと言う連中の話を百パーセント信じるならば、その加害者は同族の朝鮮人若しくは支那人と考えるのが妥当な結論であり、賠償請求するならば朝鮮人若しくは支那人に対して行うべき問題で、日本政府に賠償請求や謝罪要求は道理に叶わない話で在ろうと考える。

要するに、当時は公式の商売で其処に働き報酬として金銭を貰っていたのだから被害者と言う論法は、常軌を逸脱した論法と言わねば為るまい。