侵略戦争は無かった

十九世紀の英国は対清貿易赤字に苦しみ、清にアヘンを輸出し始め、国内でアヘン中毒患者に悩まされた清政府は取締を始め、これに反発した英国が戦争を仕掛け、勝利した英国が上海の開港や香港割譲を勝ち取り、他では米・仏・露・独に拠る半植民地化が進んでおり、この中の一国に日本が居ただけの話である。

一九一一年から一九一二年に起きた「辛亥革命」に拠り清朝は滅亡し「中華民国」となったが、一九三〇年代に入ると共産主義に傾倒したグループが台頭し、毛沢東率いる共産軍と蒋介石率いる国民党の間で内戦が始まった。

これは、日露戦争敗戦後に樹立した共産ソビエトの「国際コミンテルン」が支那の共産化を画策し、反日感情を持っている支那人を扇動した結果、共産主義に傾倒する支那人の集団が出来上がり「国共内戦」へと進んでいった。

日支事変の発端は、日露戦争の権益で勝ち取った満州鉄道の警備に駐留していた日本軍に対して共産軍が挑発した事に拠るもので、在支の邦人殺害等現在の中共で起こっている事と大差は無いが大きな違いは内戦の最中で、極論するなら「無政府状態」に近いもので在ったと考えられる。

侵略とは現に統治している政府が存在し、この政府の主権を蹂躙し国土を侵す行為であり、既に米・英・仏・露・日に拠り国土を割譲させられ半植民地化し無政府状態の中での抗争を侵略戦争とは言えないと考えるのが正当であろう。

ソビエトの国際コミンテルンの策謀に拠り泥沼の戦乱へと引きずり込まれた日本こそ被害者であり、国民党・共産軍・日本と三つ巴の戦いの中で、国民党と停戦協定を結んでも共産軍は攻撃を仕掛ける、共産軍と停戦協定を結んでも国民党は攻撃を仕掛けるという具合で、講和を結ぶべき政府が存在しない状態で侵略戦争と避難される筋合いは無いと考える。

仮に百歩譲って「侵略」を認めるならば、米・英・仏・露・独も全て同罪として避難されるべきであり、これは大東亜戦争終結後に米国が中共での市場獲得と言う利権目的の対日参戦を正当化する為に、自国の西に「ナチスドイツ」と同様の犯罪国家を作り上げ、米国の対日戦が正義の戦いである事を演出する為に、侵略戦争・南京虐殺を作り上げたと考えられる。