何がゆとり教育

今日の学校には「ゆとり教育」と言う珍妙な言葉が横行しているが「ゆとり教育」とは何を指しているものか、少なくとも子供達には「ゆとり」なる代物が与えられているとは見受けられない。

要するに教職員組合の圧力で教員の休みを増やすのが目的では無いのか、休みは増えても授業のカリキュラムは減っている訳では無く、解り易く言い換えれば一升の米を八合しか炊く事の出来ない炊飯器で強引に炊くようなもので、教員に「ゆとり」は在っても子供達にそんなものは無いと言えよう。

教組よ可愛い子供達を洗脳するな!教育は不偏不倒でなければ為らない

教組よ可愛い子供達を洗脳するな!教育は不偏不倒でなければ為らない

この弊害が運動会或いは文化祭と言う祭事に現れ、取敢えず挙行すれば任務終了と言う考えで運動会等は怪しげな天気でも強引に挙行して、中途で雨が降り始めれば中止して翌日に前日の半端を行うと言う教員の休日を潰さない事ばかり配慮して行事を行う意義や意味等と言うものは何処かへ消えてしまっている。

昔日は日曜日開催が通常で、天候不良等の順延は二週先位迄は日曜或いは休日に予定されていたと記憶しているが、今日では順延は翌日等と親達の立場を考慮して休日や日曜日で順延すると言う事は全く無く教員の都合で振り回されていると言った方があっているのでは無かろうか。

亦、最近の運動会(体育祭)や文化祭と言う行事も、定例行事として唯行えばよいと言う風に見えて致し方無いが、これらの行事も全体行動を学習させる上では極めて重要なものでは無いのか。

昔日は運動会の入場行進の為に、「分列行進」を幾日も前から練習させたものだが、現在では如何なのか、これすら「軍国教育」の一環等と馬鹿げた戯言を真顔で語る教員が居るのには呆れ返るばかりである。

はっきりと言わせて貰えば教員の質が限りなく悪くなったと言う事で、組合教員の左傾化思想教化は従前も変わらないが違っている処は本来の業務である「教育」と言う事にも熱心に努めていた事であり、現在の組合教員が熱心なのは組合活動と左傾化思想教化のみで本来の業務は組合活動と思想教化の合間にと言う感が目立って致し方無い。

今日の組合構成員の比率は日教組が二十七パーセントと言うがこの数字は単に組合離れと考えれば歓迎し得る数字であり、この数字は組合の存亡すら危うくなる数字である。

しかし組合離れの裏側は「貴重な休日を組合活動には使いたくない」と言う事で、思想背景からの組合離れであれば歓迎すべき事であるが前述の理由は「休みの多い職種」として教職を選択した低劣な輩であり、これは教員の質低下に他ならないであろう。

この様な低俗な連中と左傾化思想教化と政治運動にのみ熱心な組合構成員の専横に任せ、少数派のまともな教員達のでる幕が少なくなってしまっている現状に鑑みれば、子供達は「ゆとり」どころか逆に「詰め込み」によるカリキュラム消化の哀れな犠牲者ではないのかと考える。