国旗「日の丸」の起源

我国の国旗「白地に日の丸」は正式には「日章旗」と言い、「日の丸」が国章として意識されるようになった思想的根拠は古く、源平時代に武家の旗印として用いられ、近世に於いては御朱印船の旗印として用いられた。

徳川時代の末葉に国際感覚の明白な覚醒を見た時代に「日本国総船印」として認識され、幕府も安政六年に「白地に日の丸」の旗が「御国総標」であると布告するに至り、万延元年に咸臨丸が日章旗を掲げてサンフランシスコに到着し金門湾入港時には国際儀礼に従いメインマストに星条旗を掲げ、港内停泊中の他国の船舶がメインマストに日章旗を掲げて祝砲を放ち入港を祝った。

こうした国際儀礼の場で我国の国旗として用いられるに至り「日章旗」は国際社会で日本の国章として認知されるに至った。
「日章旗」と「旭日旗」を混同されている方があるようだが全く別物で「旭日旗」とは昇る朝日の旭光、放射する光を表しているもので、旧陸海軍を経て現在陸海空自衛隊が使用しているものを「旭日旗」と言い、日章に光条が二十二・五度で放射して条数が十六条のものを「十六条旭日旗」と言い、これが一般的な旭日旗である。

「白地に日の丸」の「日の丸」は言わずとも日章旗と言うが如く「日」を表しており、「日」とは即ち地上の森羅万象あらゆるものを育む温かい恵の光で照らす太陽を表し、太陽とは皇室の遠祖たる「太陽神」天照皇大神宮を意味しており、「白地」は何物にも染まらない無垢、「何物にも染まらず純真無垢な身体で嫁ぎます」と言う花嫁衣裳の白無垢に表されるように「穢れ無き清純」を表しており、広義には内外に「皇室の遠祖天照皇大神宮に守護された我国と我民族よ清純に栄え在れ」と言う意味であろう。

然るに、日教組・全教の売国労組や反日主義者達は「日の丸」の日章を示す赤を「日本に侵略された人民の血の色」白地の白は「日本に侵略されて死んだ人民のお骨の色」「先の侵略戦争のシンボル」と子供達に教えているが、国旗の起源や表意を全く無視した暴言であると断ぜざるを得ず、この様に国家を代表すべき国旗を貶める考えを吹聴する輩が教育現場に横行している現状に憂いを感じる。

日章旗と月章旗

日章旗が太陽をシンボルとして表されている事に対して月章旗は満月をシンボルとして表されており、「月章旗」は南太平洋のパラオ共和国の国旗である。

南洋のパラオ共和国は大東亜戦争以前には、我国日本の信託統治領として「南洋庁」の管理下に在ったが日本の敗戦でその領有権が米国に移転し、米国の信託統治領として長く米国の管理下にあった「パラオ」が共和国として米国から独立し国旗を制定する際、「月は太陽の光で輝く」パラオも日本のお陰で輝かされたと、日本の統治時代にパラオ共和国が受けた日本の恩恵を子々孫々忘れないようにとの願いを込めて、日本の日章旗を模したデザインの月章旗を制定したものである。

パラオ共和国国旗のデザインは、美しい南洋の海を表す青地に夜空に輝く満月を黄色で表し、国旗制定の記念碑には、日本・パラオの両国旗が並べて飾られ前述の制定に至る経緯が石碑に記されている。